2016年10月10日

日本におけるホテル発祥の地が関内にあったこと知っていますか?

大谷 幸一 大谷 幸一

ペリー黒船来航からわずか7年、万延元年に日本における最初の西洋式ホテル「ヨコハマ・ホテル」が開業。レストランやプール・バーもこのホテルから日本全国に広がっていくのです。関内に多い個性豊かなバーも、実はこの場所が発祥の地だったのですね。

江戸末期の開港時から関内にはホテルがあった…

横浜、特に関内には素敵なホテルが多いとずっと思っていた。それは、港町だから…。

当たり前のように思っていたので、特に気にすることもなかったが先日、知人から「横浜市中区の洋菓子店の店先にホテル発祥の碑があるよ」という情報があった。

日本のホテル発祥の地が横浜?

気になって取材をしてみることにした。

大桟橋通り沿いにある洋菓子店に到着すると、そこに蔦に覆われたビル。その雰囲気があまりにも街の景観に自然に溶け込んでいるので、おもわず通り過ぎてしまいそう。

見上げると普通のビルなのだが、蔦のからみ方があまりにも素敵なので、大きい洋館のようにも見える。とてもシックなこちらこのお店は、レーズンサンドが有名な「かをり」という老舗の洋菓子屋さんだという。

なんだか興味が沸いてくる…

おっと、今日はこのビルを取材しに来たのではなかった。さて、ホテル発祥の地の碑はどこだろう。

たしかに重厚な銅板で作られた「ホテル発祥の地」の碑が立っていた。

碑文を読むと万延元年(1860年)、居留地70番(現:山下町70番地)にオランダ人の作った「ヨコハマ・ホテル」が存在したと記してある。ペリーの黒船来航から7年、1859年の開港から1年後という時期に西洋式のホテルが作られたことになる。

まさに日本における西洋式ホテルの発祥は、この地にあったのだ。

ホテルの発祥を追っていたら、新しい発見が…

「ヨコハマ・ホテル」とはいったい、どのようなホテルだったのか?

調査を進めていると、横浜市市民広報課と神奈川新聞社が協同編集している「季刊 横濱」の2005年の秋号に、横浜のホテルの特集が組まれていることが判明する。さっそく横浜市刊行物サービスコーナーで、バックナンバーを購入した。

「季刊 横濱」の特集記事と他の情報源とを照合した結果、日本で最初のホテルは、やはり「ヨコハマ・ホテル」であり、万延元年(1860年)、オランダ人船長のC.Jフフナーゲル氏が開業。レストランやビリヤード、バーを備え、医師のシーボルトや画家のハイネ、そしてローマ字の生みの親、ヘボン博士も投宿したとも伝えられている。

このように日本の西洋化へ貢献した著名人が多く投宿したホテルも慶応2年(1866年)豚屋火事と呼ばれる関内の大火により消失し、その生涯を終えたという。

そこで、気になるのは「ヨコハマ・ホテル」が日本で最初のホテルだとすると、その中にあったバーは、日本における最初のバーだったことになる。

それならば、関内には個性豊かな本格的なバーが驚くほど多く存在し、横浜から世界に発信されたカクテルが多いことにも合点がいく。つまり、関内は「日本におけるバー発祥の地」でもあったということだ。

よし、それがわかっただけでも大きな収獲。今日の仕事は終了し、近くのオーセンティックなバーに行って、横浜オリジナルのカクテルを楽しむことにしよう。

YOKOHAMA

BANBOO

MIILION DOLLAR

今回の取材は、「ホテル発祥の地」を取材するだけのつもりが「バー発祥の地」を発見できたことが大きな収獲だったかな。

そういえば、11月3日の文化の日には、中区太田町の横浜メディアビジネスセンターの1階で、関内新聞が主催する「第3回 カクテルショウ」が行われます。

バー発祥の地“横浜”で腕を振るっている一流バーテンダーの勇姿を是非見にきてください。

あれ、最後はちょっと宣伝になってしまったようだ(笑

この記事の著者

大谷 幸一

大谷 幸一デスク

昼はうだつの上がらない中年サラリーマン。しかし、ひとたび編集長からの特命が下ると、どんな難しい取材にも果敢に挑む熱血漢。こんな私を人は「関内新聞の仮面ライター」と呼んでいます。深い歴史があり、異国情緒漂う関内。この街の知られざる魅力をたくさん発見し社会に発信することが私の使命です。

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