関内馬車道の裏手にある「六道の辻通り」の由来を探ってみました

そもそも六道って…

「六道」とは仏教用語にある言葉で、迷いのあるものが輪廻転生する世界のことを言うそうです。その世界とは、「天上道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道」の六つです。

ちなみに、田舎やお寺の境内などでお地蔵さんが六体並んでいる風景がありますが、お地蔵さんは「六道」を彷徨っているものを救済するという教えがあり、それぞれの道に対して一体ずつ、合計六体並べて祀っているというものだそうです。

これ以上の内容を知りたい方は仏教系のWebページをご覧になっていただくとして、「六道の辻通り」という名前を聞くと、このような理由により、お地蔵さんが並んでいる通りを連想したり、「巣鴨とげぬき地蔵」のような寺院の門前町を連想されるかもしれません。

実際の「六道の辻通り」は…

では、馬車道の裏手にある「六道の辻通り」には、お地蔵さんが並んでいるのでしょうか。実際足を運んでみると、まず「六道の辻通り」と表示されている石柱がすぐ見つかりました。

すごい昔のものではなく、平成11年、すなわち1999年3月というごく最近設置されたもののようです。

ちょうど「六道の辻通り」と「常磐町通り」が交差するところ、老舗カツレツ料理店のそばに建ってました。

場所を地図で表すと、こんなところにあります。

 
ちなみにお地蔵さんがあるかどうか、この通りをくまなく探してみましたが、見つけることができませんでした。もちろん、仏教寺院もこの通りはおろか関内エリア全域にもありませんでした。

むしろ、ぶらりと飲みに行ってみたいお店などがいっぱい軒を連ねています。従って、この通りにはお地蔵さんや仏教寺院などの由来はないのかも知れません。

では、どういった意味合いで、「六道の辻通り」という名前が付けられたのでしょうか。

過去の文献・地図を調べてみると…

中区発行の『横浜中区史』(1985年2月発行)という冊子に「六道の辻」に関する情報は記載されていました。

まず「地区編・第二章_関内地区」223ページには、

車道の裏、現在の住吉町五丁目には六道の辻といわれた六差路があり、桜木町・常盤町・尾上町・住吉町などに六本の道が通じて交通の要所となっていた。

次に同233ページをみると

この区両整理は、昭和四年ごろには完成するが、(中略)六道の辻は廃止され、尾上町通りに並行して十一メートルの道路が新設された。

すなわち、六本の道が交差する六差路が昔そこにあり、そこを「六道の辻」と呼んでいたことが由来でした。その六差路は、昭和4年に完了した区画整理によって廃止となった模様です。

証拠となる地図を探してみました。

まず開港時の地図を見てみましょう。

御開港横浜之図_部分加筆(1863年) 横浜市中央図書館所蔵

画像の赤丸のところが六道の辻と想像しますが、開港直後はまだそれらしきものも何もありません。地図も現在のような精巧なものではないので、もしかしたら左側の「太田屋新田」の中かも知れませんし、右側の「内浦」の中かも知れません。

明治に入ってからはどうでしょうか。

横浜明細全図再版_部分加筆(1868年) 横浜市中央図書館蔵

豚屋火事の後の横浜だと推測できます。港崎遊廓が消滅して吉原遊廓(羽衣町)に移動し、太田屋新田が市街地として埋め立てられています。

おそらく赤丸のあたりが「六道の辻」になる場所ですが、まだこのころも市街地埋め立てが行われておらず、六差路にはなってません。

少し年月が経過してからの地図を見てみましょう。

改正横浜分見地図_部分加筆(1878年) 横浜市中央図書館蔵

1868年のころよりさらに埋め立てた市街地が増えました。赤丸のところに六差路が見られました。住所も「住吉町五丁目」のようです。参照した文献の中の一文と一致するようです。

どうやら、1868年から1878年までの間に「六道の辻」と呼ばれる六差路が完成したようです。しかし、この地図上の辻は五丁目と六丁目の境界にあります。

現在の地図を見ますと、五丁目と六丁目の境界は「博物館通り」です。

さらに時代を追って地図を見てみましょう。もう少し地図として精度が上がったものを見る必要があります。

1910年発行の地図がありました。

改正横浜新地図_部分加筆(1910年) 横浜市中央図書館蔵

この地図は過去の「絵地図」レベルから格段に、地図としての精度が向上し、信用度も上がっています。

赤丸のところが「六道の辻」ですが、この地図上でも住吉町五丁目と六丁目の境界部分にありました。見る限り、現代の「博物館通り」上にあるように思えます。

緑丸の部分にも着目しながら、「六道の辻」がどのようになっていくか、後の時代の地図を見てみましょう。

次は1929年(昭和4年)、すなわち『横浜中区史』によると「区画整理が完了した年」に発行された地図を見てみましょう。

大横浜市交通地図_復興完成番地入_第二図_部分加筆(1929年) 横浜市中央図書館蔵

1910年の地図とは上下が逆になってしまいましたが、原本のままで表示しています。赤丸のところが今まで「六道の辻」だったところですが、碁盤の目状に変わってしまっています。

これは、1923年9月1日の関東大震災で横浜市中心部が壊滅的破壊を受け、震災からの復興事業で、関内などの市街地中心部が大幅に区画整理されたからです。

震災前の「六道の辻」につながる六本の道路は近道としては便利だったものの、道幅が広くても5.5m、狭い道は1mしかなく、大変不便で混雑の元だったそうです。

それが区画整理によって、尾上町通りと平行に幅11mの道路ができ、幅4~6mの脇道も造られたそうです。幅11mの平行な道路が現在の「入船通り」になります。

ところで、1910年の緑丸の位置を1929年の地図に当てはめてみましたが、やはり「六道の辻」は「博物館通り」の上にあったことになります。

1929年から現在に至るまでには、太平洋戦争による横浜大空襲や米軍による横浜中心部の接収がありました。しかし、このあたりの大規模な再度の区画整理は行われなかったようです。

現在のGoogleマップでみても、馬車道周辺は1929年の地図とは大きく変わっていません。となると「六道の辻」のあったところは、ご覧のように「博物館通り」と「入船通り」の交差するところになります。

 
尚、「六道の辻通り」付近に寺院があったかどうかを調べてみましたが、開港以来このあたりに寺院が建っていたと記されている記述は見つかりませんでした。

おわりに

今回「六道の辻通り」の名前の由来について、以下のことがわかりました。

  • 「六道の辻通り」は(六道の辻=六差路)から名付けられたもので、明治から大正にかけて、実際に六差路が存在した。
  • つまり「六道の辻」は仏教でいう「六道」とは無関係である。
  • 六差路(六道の辻)は、1923年の関東大震災後の区画整理により廃止された。

ここまでは、他のレポートなどにも同じことが書かれています。しかし小紙では、幕末開港、明治~大正、昭和の地図を見比べて、

  • 六差路(六道の辻)があったところは、現代の「六道の辻通り」上ではなく、一つとなりの「博物館通り」上だと思われる。

という考察までたどり着きました。

この考察の是非につきましては、これからも追究していきたいと思います。

ところで小紙は、「六道の辻通り」という名前が、昔「六道の辻」があった場所に命名していなことについては、言及するつもりありません。名称はあくまで名称です。

明治や大正の頃の関内馬車道地区に、「六道の辻」と呼ばれる六差路があった

横浜・中区史:人びとが語る激動の歴史 中区制50周年記念事業実行委員会 編著 1985年

という歴史的事実を、できるだけ近くの裏通りに名前を付け、記憶にとどめて後世に伝えるということは素晴らしいことだと思っています。


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この記事の著者

佐野 文彦

佐野 文彦博士

滋賀県で生まれ、学生時代を福井で過ごす。社会人になってからは、横浜を生活拠点としている。本業の傍ら、ジャズやゴスペル・ファンクなどでサックス演奏や、コーラスグループでの合唱活動も行っている。横浜が自分の歌や演奏で満ち溢れるといいなどと、大風呂敷な夢を持ち歩いている。彷徨うような街歩きが大好き。

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