映画『コクリコ坂から』でおなじみ
「安全な航行を祈る」
青空にたなびく2枚の旗。2011年に公開されたスタジオジブリの映画『コクリコ坂から』にも登場した国際信号旗です。「港の見える丘公園」は、主人公の松崎海が切り盛りしていた下宿「コクリコ荘」がある場所のモデルとしても知られています。
港町の空気を肌で感じられる“ヨコハマらしい”この公園は、観光地やデートスポットとしても人気。港の見える丘公園といえば眼下にベイブリッジや横浜港を一望できる、この展望広場をイメージする人も多いのではないでしょうか。
ああ、私もこれまで何度か、あんな人やこんな人と、ここで横浜の夜景を眺めたこともあったなあ…(-_-)なんてことを思い出しながら久しぶりに公園を散策。
散歩やジョギングを楽しむ人、季節の風景をカメラに収める人、ベンチで談笑する人などなど、地元の人から観光客までいろんな人に愛される公園であることを感じさせられます。
公園の歴史は「フランス山」にあり
ところでこの港の見える丘公園、もともとは何があった所なのかをごぞんじですか?その歴史は、この展望広場より少し元町側に下りた場所にある「フランス山」で味わうことができます。
幕末から明治にかけて、この地にはフランス海兵隊が駐屯していました。1862年に起こった生麦事件など、当時は攘夷派による外国人殺傷事件が相次いだ時代。そこでフランス政府は、横浜居留地に住む自国民の保護と居留地の防衛を目的に、イギリスとともに軍隊の駐屯を決定したのです。
駐屯は1863年6月から1875年3月に撤退するまでの約12年間続き、この場所は「フランス山」と呼ばれました。
フランス軍の撤退後、1896年にフランス領事館と領事官邸が完成します。しかし1923年の関東大震災による倒壊。1930年には再建されますが、それも1947年に火災により焼失し、その時に焼け残った部分だけが現存しています。
もともとはこんなに立派な領事館がここに建てられていたとのこと。もし今も残っていれば、横浜観光名所のひとつとして数えられていたに違いありません。
領事館と領事官邸が建設された際、井戸水をくみ上げる風車も設置されました。
マリンタワーときれいに並んだ姿を見られるこの風車ですが、当時もここに設置されていたわけではなく、これは2004年の公園整備の際にモニュメントとして建てられたものだそう。
もともと設置されていたのはこちら。フランス山と展望広場の間にひっそりと残っている井戸遺構です。
風車の設置や井戸遺構の保存など、このフランス山が整備されたのは2002年から2004年にかけて。私はそれ以前のフランス山を目にしたことがないのですが、もともとは雑木林のような鬱蒼としたところだったそうです!
この日もベイブリッジをきれいに臨むことができました。美しい景色と庭園だけでなく、歴史の一端にも触れられる場所「港の見える丘公園」。
今まで夜景を見に来るばかりだった大人なアナタ!そろそろ春の足音が聞こえてきたころ。お天気のいい日に足を運び、港町の空気とその歴史を味わうのはいかがですか?
施設詳細
- 港の見える丘公園
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- 横浜市中区山手町114
- 駐車場:有料17台