関内新聞

【情熱】滝ともはるの音楽が南回帰線を経て行き着いたパラダイス

関内新聞が2013年12月に創刊されてから4ヶ月。

その間、関内という街をひたすら歩き、そして取材を続けている中、この街と音楽は切っても切れない関係があるのではないかと感じるようになった。

2014年3月には、JR関内駅前セルテ11階に入居するハート&ソウルを取材。その時に出会ったハート&ソウルのオーナーでありミュージシャンの原 正行さんと話している中、馬車道は住吉町にいるミュージシャン仲間の話を聞かされる。

 
パラダイスカフェ

早速そのミュージシャン仲間に会いたいと原さんに嘆願すると、彼は快くその仲間がいるという店に連れて行ってくれた。

尾上町から馬車道に入りホテルのある角を曲がる。この街の道は碁盤の目のようになっているので分りやすい。2ブロックほど歩き、六丁目に差し掛かった交差点の角にある建物の地下にパラダイスカフェはあった。

原さんの後を追い店の階段を下りていくと、既にその瞬間からアコースティックのギターの音がこぼれてくる。

ココにもまた音楽がある。

新たに出くわした音楽が聴けるお店に、高揚感が高まりつつあるコチラのことなど構いもせず、原さんは店の扉を開けて入っていく。

開かれた店の扉へと彼の背中を追う。するとその瞬間、目の前に白髪交じりのオールバックの男が、アコースティックのギターで弾き語りをしていた。

その声には渋みが混じり、そして地の底から響き渡るような強さ声で、ブルースを唄っている。

滝 ともはる さん

その男こそ、ハート&ソウル原さんが言う、関内のミュージシャン仲間の張本人だった。

 
しばらくの間、滝さんの迫力あるそして何処となく哀愁が漂う歌声に聴き入る。
既に時間は深夜12時を回っていたが、この店はまだまだ終わろうとする気配がない。

 
それが関内の夜。
 

たった1曲。そのわずかな時間で既に、魅了される歌声。この男のことをもっと知りたい。もっと滝さんのことを知らなくては、関内の夜を語ってはならないような気がした。


それから1週間。

再び彼のもとへと足を運んだ。
どうしても話が聞きたいと無理を言う願いを滝さんは、すぐに叶えてくれたのだった。

 
指定された時間は、お店の開店時間よりも3時間も早い。

時間に遅れてはならないと、少し早めに到着したが、店へと下りる階段からは、あの日と同じようにアコースティックのギターの音がこぼれている。

 
ん!? 待たせてしまったかな?
 

恐る恐る扉を開けるコチラには、気が付かないようだった。曲を遮ってはならないと、後ろ手に静かに入ってきた扉を閉める。

滝さん:
僕はね、日本一ギターが下手なミュージシャンなんだ。
でもねこうやってずっと練習していれば、いつかは上手くなる。そう思って30年、ずっと練習しているんだよ。いつかは上手くギターが弾けるようになると思ってね。



約束の時間に遅れてはならない。滝さんを待たせてはならないと、少し早めに来たはずだった。
扉を開けた時には、何かの曲の一番盛り上がるパートを指でギターを奏でていた。

額にはうっすらと汗のようなものが滲み、ワイシャツの袖は軽くまくられている。

ようやく入ってきたことに気が付くと、滝さんの指が奏でていた曲は止まり、ギターを置いた滝さんはテーブルに腰を下ろしてコチラを招き入れる。

滝さん:
この街に来てもう26年かな。それでハート&ソウル原さんとは、出会って22年ぐらいになるね。当時は僕も原さんも色々なお店に呼ばれて、色んなところで音楽をやっていたんだ。

彼とは一緒に音楽をやっていた訳じゃないけど、この街で音楽をやっている時にお店ですれ違うようになったり、お店へと移動する道で会ったりして、お互いが仲間だと認識していたよね。

滝さん:
デビューしたのが1978年、23歳の時。クラブ歌手だった父親が歌う姿を小学生の頃こっそり見た時に、音楽を意識するようになったのかな。そのクラブのオーナーの息子が幼馴染でね。こっそり入ったクラブの奥で、生まれて初めてコーラを飲んでて、その時に父親が歌ってたんだよ。

中学生の時に、人並みにビートルズやプレスリー、サイモン&ガーファンクル、カーペンターズなんかを聴いてた。それで高校生になって、井上陽水で目覚めて、大学浪人中にコンテストで優勝してデビューした。

滝さん:
1980年の南回帰線の時が、25歳の4月だな。あの曲でベストテンの4位までいった。

 
何てことだ。有名な曲ということは知っていたが、ベストテンで4位までいった歌手が、この関内の街にいて、こうして今、目の前にいるんだ。
 

滝さん:
まぁ、知らなくても仕方がないよ。もう34年も前のことだからね。あの頃、ラジオが3本、それにテレビも1本レギュラーを持っていて忙しくしていたよ。だけど、1982年にザ・ハングマンⅡの主題歌を歌った後、26歳の時に僕の音楽活動は休止したんだ。

しばらくした32歳のころ、横浜でディスコバンドのボーカルをやらないかと誘われ、この街に来た。

滝さん:
店を持つ前と後では、大きく流れが変わったね。この店は2001年3月1日に作ったんだけど、店ができてからは活動の拠点ができたというか。動きが定まって来たね。

この店でアルバムを3枚作ったし、この店の若いアーティストのCDも3枚プロデュースできた。

 
パラダイスカフェを作ったきっかけは…?

音楽が溢れる関内の街で、色んなお店からお呼びがかかる滝さんが、お店を持つことにしたきっかけは何だったのだろう…。

 
滝さん:
次第に歌のお呼びが減ってきたんだ。まぁ、それも仕方がないと思うね。自分はだんだん歳をとるし、お店の人は若くなっていく。扱いにくくなってしまったんだろうね。それでお声が掛からなくなりだしたんだ。

それで上海出身の胡さんをキッチンに招き、歌で通っていたお店のスタッフだったにバーテンとして声を掛け、お店を持った。胡さんは残念ながら、もう天国に行っちゃったけど、麦は一時店を離れた後、今は戻ってきて店長として、この店を切り盛りしてくれてる。

滝さん:
お酒とお料理と音楽。この3つが複合的に交わりエンターテイメントする。それで、お客さんが寛いでくれる空間。それがこの店のコンセプトだった。お酒の種類もかなり豊富に用意しているよ。

 
3年前に思い切って店を改装。大きく拡げる。

滝さん:
それまでのお店は、32人ぐらいが入れる小さなお店だった。それを3年前に、この広さまで改装して拡げたんだ。今は全部着席すると60人は入れる大きさになった。



滝さん:
デザイナーがいなかったから、自分でサイズを測り、高さも図ってデザインした。家具もね、自分でイメージ通りの物が見つかるまで探し回ったんだよ。

滝さん:
床材は、無垢のナラ材。これも自分で見つけて来た。

滝さん:
壁は珪藻土(けいそうど)を使っている。珪藻土は、湿気が多い時には吸ってくれ、逆に乾燥している時には蓄えた湿気を出してくれるんだよ。

改装の時には、自分の理想的な店の雰囲気を作るため、やりたいようにやった。その結果、予算も大きくオーバーしてしまったけどね。

 
だからか。この店は完璧にコンセプトが定まっている。客が座るソファーも椅子の座面も深みのある赤。床はぬくもりのある深い茶色に、どことなく古さを感じさせるようなところに渋さを感じる。

味があるんだ。

 
滝さん:
それまでのパラダイスカフェには、勢いがあった。自分のために店をやって、ここでやりたい音楽をやって来た。

だけど改築してすぐの頃に、リーマンショックがあり、そして東日本大震災。ちょっと苦しい状況なってしまったね。

滝さん:
やがて13年のお店の歴史の中で、少しの方向性が徐々に変わって来て、それに気が付くのが僕は少し遅かったような気が今ではしている。

あぁ、時の流れをもっと敏感に感じるべきだった…とね。

それまでは、平日は毎晩僕が唄っていたんだけども、もう58歳でしょ。毎晩唄うのは、もちろんしんどくなってきたんだ。

滝さん:
それまでも時々は、他のミュージシャンを呼んで、このパラダイスカフェで唄ってもらうこともあったけど、今年からは、この箱を活かしてくれる次世代のアーティストに開放していくことが、お店の使命だと考えるようになった。

例えば、今もこの店で一緒に唄っている米重 優哉をもっと前面に出したり、他の色んなアーティストにこの店を全面開放していく。これからのパラダイスカフェは、ライブハウスとしてアーティストの登竜門となるような場所にしていきたい。その為に、今は積極的に出演者を急募しているよ。

滝さん:
6月には、上田 正樹 さんも唄いに来てくれるしね。上田さんは、時々パラダイスカフェで唄ってくれているよ。

それに一昨年、桑名 正博 さんもココでライブをやってくれた。恰好良かったよね。

 

なんと。あの桑名さんも、パラダイスカフェで唄ったことがあったのか。桑名さんの歌声、ここで聞いてみたかったな…。

 

滝さん:
桑名さんとは、深いつながりがあった訳じゃないけど、ここで唄って欲しいとお願いしてね。それで来てくれたんだ。実際には僕が堀内さんとテレビをやっていた頃、ゲストで来てくれたので会ったことはあったんだけど、桑名さんは、そんなこともあったかなって感じだった。

桑名さんのライブは盛り上がってたよね。その時のアンコールで、桑名さんが『生きてるうちが花なんだぜ』を唄ってくれたんだ。

生きてるうちが花なんだぜって、あれから凄くそう思うようになったよ。だから、ここで若いアーティストを発掘して、スターになって欲しい。そんなライブハウスに、これからのパラダイスカフェをしていきたいと思っている。



滝さん:
桑名さんは歌い終わった後、「頭が痛いな」なんて言っていたけど、本当に残念だったよね。桑名さんがあの曲を唄ってる時、お客さんも皆涙ぐんでいたよ。もちろん、僕も目頭が熱くなったのを覚えてる。

滝さん:
僕はジャズだけとか、ロックだけとかって考え方は好きじゃない。ジャズも良い、ロックも良い、ポップスだって良い…。シャンソンだって良いんだ。

オリジナリティがあって、良いサウンドや歌詞があって。

自分のやりたいことが明確な人。

そんなアーティストを常に探しているね。都内のライブハウスとかのぞいたり、CDやラジオ、今なんかだったらYouTubeでチェックしたり。

既に500人ぐらいのアーティストに声をかけているよ。


なるほど。この人が言う、生きてるうちが花なんだぜとは、これからのパラダイスカフェをライブハウスとして、音楽がやりたいと頑張る人を応援することなんだろう。

ライブ&レストランバー「パラダイスカフェ」を、これからは音楽の登竜門として、長くこの関内の街に残していく。

 
歌声だけじゃない。音楽が好きというだけでもない。
 

自分の活動の拠点だったパラダイスカフェを、ライブハウスとして全面開放する。並大抵の気持ちや覚悟ではできない判断だったのではないか…。

 
またこの街で、音楽が聴ける良い店と巡り合った。滝さんの歌声や、様々なジャンルの音楽を唄う若いアーティストの歌を、またここに聴きに来よう。

 
仕方がない。今度はアイツも連れてくるか。

 

ショップデータ

Paradise Cafe’ (パラダイスカフェ)
  • 横浜市中区住吉町6-72
    シャンローゼ関内B1
  • TEL:045-228-1668
  • WEB:www.paradisecafe2001.com
  • 営業時間:
    月曜日~土曜日/19:00~4:00
    祭日/19:00~0:00
  • 定休日:日曜

 
パラダイスカフェのテーマソング

モバイルバージョンを終了