関内新聞

『深夜食堂』で唄う〝ハマの吟遊詩人〟スーマー、ホームグラウンドの伊勢佐木町でライブ


スーマー(SUEMARR)

古いギターとバンジョー、そして酒をお伴に弾き語る、横浜生まれの生粋の日本人。2014年ファーストアルバム『ミンストレル』、2017年セカンドアルバム『泥水は揺れる』を発表。

『ミンストレル』収録の8曲は、ドラマと映画『深夜食堂』のエンディングソング・挿入歌・劇中音楽として採用されている。また、雑誌『はま太郎』(星羊社刊)で、横浜の酒場にまつわる随筆を連載中。

スーマー・オフィシャルサイト:suemarr.com

この日のライブ会場は、イセザキ・モールのブックオフの角を曲がってすぐ左、映画館ニューテアトルの隣りにあるJohnJohn(ジョンジョン)

自宅を出たところで愛車のトラブルに見舞われたというスーマーは、少しあわて気味に到着。まだ落ちつききらない様子だったが、ひと息ついて楽器の準備を整えると、ここでは恒例になっているニール・ヤングの歌から唄い始めた。

アンプは使用せず、ギターの生音と生の歌声で店内を充たしてゆく。

「JohnJohnではいつも、カウンターの客の背中を見ながら唄うことになります。何を考えながら酒を飲んでるのだろうとか、おれの歌を聴いてくれてるけれど、おれの考えとは違うことを考えてるのかもしれないとか、思いながら唄うんですが、それもまたおもしろいことで…」

幾度もライブをこなした慣れ親しんだ店。バーのカウンターで顔見知りと話すような寛いだMCを挟みながら、オリジナル曲の『道路』『僕が家を出る理由』『火鉢』そしてまたニール・ヤングのカヴァーと唄い継いでゆく。

ライブの終演後に時間をいただいて、スーマーの関内・伊勢佐木町エリアについての思い出やあれこれを話してもらった。

子どもの頃の横浜は、ベースキャンプと靴屋

横浜生まれ、横浜育ちのスーマーにとって、関内・伊勢佐木町エリアはどんなところだったのだろうか。

「いま実家は栄区なんですけど、オレが3~4歳の頃は伊勢佐木町に居たんですよ。両親が間借りしてた部屋が靴屋の奥にあって、家に出入りする時はいつも靴を見ながら店の中を通ってたという記憶があって。

靴屋の名前はもう憶えていないけど、たぶんいまのイセザキ・モールのどこか…

そんな環境にいたから、子どもの時から(この辺りが)怖いとか全然なかった。怖いというか、気になるのはどっちかというと伊勢佐木町よりも本牧とか。いろんなアーティストがいたから、あっちのほうが気になったてたし、怖いっていうことなら、あっちですね。

本牧のベースキャンプにホームステイに行ったこともあったしね。あれは楽しかった。アメリカに住んでるみたいな気がしてね、キャンプの中は完全にアメリカだったから。映画館はあるし、ボーリング場はあるし、スケート場はあるし。

だから、子どもの時の横浜の思い出といえば、本牧のベースキャンプと伊勢佐木町の靴屋(笑)。靴屋を行ったり来たりしていた日常、みたいなね」

石川町から山手トンネルを抜けた先の本牧には、1982年の接収地返還まで〝フェンスの向こうのアメリカ〟があった。別世界のようなアメリカ文化は、スーマー少年にとって憧れずにはいられないものだったようだ。横浜出身の多くの先輩ミュージシャン達がそうであったように。

横浜のライブバーには近づけなかった試行錯誤の頃

使いこなしたヤマハ・ダイナミックギターとバンジョーで弾き語るのがスーマーのスタイル。

自分の歌ばかりでなく、長く唄い継がれて来た海外の民謡、作者不明の古い歌なども大切にして唄うので、シンガーソングライターではなく〝弾き語り〟とスーマーは自ら名乗っている。

「ロックンロールとかロックの洗礼を受けて、80~90年代にはパンクやニューウェイブの波にも乗ったし。けっこう好きだったね。基本は洋楽野郎だったんですよ。シェルガーデン(※)なんかもよく行ってたんです。

だけど、元町とか中区に住んでいる者ではなかったので、戸塚区とかだと結局は横浜の田舎の若者だったから、バンドのライブを見に元町まで行くのはちょっと特別なことでね。

ロックバンドを始めて、(ギターから)ドラマーに転向して、そのあとです、弾き語りをやり始めたのは。弾き語りっぽいことを最初にやったのは新横浜なんですね(笑)、ライブハウスで。

新横浜にはまだ横浜アリーナもなくて、プリンスホテルが建ったばかりの頃。当時はまだライブバーとかよく知らなくて、バンドの頃から出ていた(日の出町にあった)Guppyはよく通ってた。でも、そんな店でひとりで唄うなんていうレベルじゃなかったから、恐れ多くて行けなかった。ライブハウスで試行錯誤しながら実験的に何度か唄ったんですよ

いろいろやって、弾き語りというスタイルで、初めて唄ったのは鎌倉なんです、TIPITINA(ティピティーナ)という店で。横浜で唄えるようになるのは、そのまたあとですね」

意外にも、幼い頃とは違って、横浜に近づき難くなってしまった弾き語り黎明期。しかし、諸先輩が活躍する街を恐れ多いと思い敬って若い日を過ごしたからこそ、〝ハマの吟遊詩人〟と呼ばれる現在のスーマーがあるのかもしれない。

シェルガーデン:中区新山下のバンドホテル旧館を利用して作られた伝説のライブハウス。多くの有名ミュージシャンが若手の時代にステージに立ったことで知られている。パンクやメタル系の爆音バンドも数多く出演。1999年に閉店し、跡地はMEGAドンキホーテ山下公園店になっている。

案内したいのは、昼から飲めるの横浜

全国津々浦々の店々でライブをするスーマー。行く先々の初めて会う人たちを前にして、どんなMCをするのだろう。横浜の話はするのだろうか。

「遠い土地へ歌いに行って〝横浜から来ました〟って言うと、みんなが知っている横浜っていうのはやっぱり(ガイドブックに載っているような)中華街とみなとみらいなんです。

だからそんな人には〝横浜へ来たら、おれの本当の横浜を案内するから〟っていう感じでいつも言ってるんです。おれの本当の横浜っていうのは、JRをはさんで内陸側のことでね(笑)。住んでるのは白楽ですから。

伊勢佐木町や関内だと、店はたくさんあるけど、昼間から飲めるところって意外とないんです。だから、昼間飲むっていうと、たとえば横浜橋の酒屋さんの角打ちだとか、野毛地下の競馬中継を見るためのちょっとした飲み屋とかね。

あと野毛のあたりだと、中華街ではない普通の町の中華屋。ああいうのも好きですね」

スーマーが案内したい〝内陸側〟は、生活者の顔が見える場所。横浜の多様性を包み隠さずに表している場所といえるだろう。多様性こそ横浜の特長。上級者向きであるかもしれないが、そこもまた横浜の一面。

どこかに優しさがあるから、この町から離れられない

久しぶりのホームグラウンドで唄うスーマーに、ずばり「横浜と聞いて思いうかぶ歌」を尋ねてみた。

「じつは(アルバムタイトルになっている)『ミンストレル』っていう歌は、横浜のこのあたりを唄っているんです。ライブではそこまで説明はしないけれど、あの歌で書いているのは、この辺のことなんです。

歌詞の〝黒く光る川の流れに 映り消えるいつもの笑顔〟というのは、おれの中ではそこの川(大岡川)だし。

いろんなところへ行っているけど、地方だと海はきれいだし、川もきれいだし、そんなところは多いですよ。それと比べると横浜の川はどう見ても汚いじゃないですか。町並みも雑然として。

だけど、このごちゃごちゃのどこかに優しさというものがあるから、この町から離れられない。そういう想いから書いた歌が『ミンストレル』なんです」

ミンストレルとは、吟遊詩人のこと。スーマーは、大岡川を渡って野毛と伊勢佐木町を行き来しながら書いたであろう『ミンストレル』という歌で、自ら〝ハマの吟遊詩人〟を名乗っていたのだ。

このあと3月から4月にかけて、京都、名古屋、岐阜、金沢、富山と、旅を続けるスーマー。各地で酒を飲み、人びとと知り合い、また横浜の歌を唄ってゆくことだろう。

取材協力:JohnJohn(ジョンジョン 中区伊勢佐木町2-8-1)

音楽と平和を愛するマスターが1971年から営むホットドッグスタンド&バー。ホットドッグメニューは15種類。手作りの季節の果実酒などドリンクも豊富。

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