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2016年7月23日(土)
【歴史探訪】-関内の小さな遺跡を訪ねる1 -シルク通りの大砲-
横浜市の関内には、KAATの敷地内にある旧居留地の遺構群や横浜公園に昔あった遊廓の石灯籠以外にも、地区の至る所に開港時代から明治~大正にかけて存在した建築の遺構があります。今回はその第一弾として、シルク通りの隅にある大砲を見てきました。
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2016年7月5日(火)
【歴史探訪】-KAATの下に眠っている明治時代の横浜市街地の遺構
2011年、山下公園や神奈川県民ホールから近い本町通り沿いに、KAAT神奈川芸術劇場とNHK横浜放送会館の合同施設が建てられました。この建物がある一帯の地下1メートル下には、明治時代に建ち並んでいた外国人居留地の西洋建築の遺構が眠っていました。
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2016年6月18日(土)
【歴史探訪】ー横浜公園の地にあった遊廓のその後の足取りを追う
1866年の豚屋火事で焼失した港崎町の遊廓。しかし、火事の前に居留地外国人と取り交わした覚書によって、元の地に遊廓を再建することは叶わなかった。その為、遊廓は横浜市内を転々とした挙句、最後には今の真金町に定着し1958年まで営業は続けられていた。
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2016年5月26日(木)
【歴史探訪】ー横浜公園の地にあった『岩亀楼』の足跡「その2」
横浜公園にあった遊廓は、幕府が積極的に推進して建造された。しかし居留地の外国人にはあまり評判良くなく、遊廓そのものは、幕府の思惑と居留地外国人の思惑との板挟みに合う。そこへあの「豚屋火事」という大火が発生し、遊廓そのものが消えてしまった。
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2016年5月19日(木)
【歴史探訪】ー横浜公園の地にあった『岩亀楼』の足跡「その1」
現在の横浜公園の場所にはその昔遊廓があり、あたかも東京の吉原のような賑わいがあったのはご存じか? 今回はその遊廓の足跡(そくせき)が今でも残る場所を訪ねてみました。そこは横浜公園一帯の喧騒から取り残されたような、ひっそりとした場所でした。
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