2018年6月19日

山下町居留地の面影を追いかけて

立花湖鳥 立花湖鳥

関内には、多くの外国人が暮らしています。現在は、日本人と外国人が場所を隔てることなく暮らしていますが、横浜開港当時は、それぞれ暮らす場所が区切られていました。外国人が暮らし交易を行う場所として設けられたのが居留地。居留地は、現在の横浜の、異国情緒豊かさの原点となったものです。


山下居留地の面影

居留地の開設

今から160年前の1858年、幕府はアメリカ・オランダ・イギリス・フランス・ロシアと通商条約を結び、横浜・長崎・函館・神戸・新潟の5港が開かれ、自由貿易が行われるようになりました。

それまでの鎖国時代にも外国との貿易は行われていましたが、長崎の港で中国とオランダの商人のみが幕府の監視下で行うというものでした。

山下居留地の面影

条約締結により、自由に貿易が行えるようになったものの、外国人の居住と営業が許されたのは、開港場の一定の地域で、その地域のことを居留地と言います。

借地権や建物の所有権を含む外国人の居住権を居留と呼んだことから、居留地の名は付けられたそうです。

山下居留地の面影

居留地が造られた経緯について

まず、横浜が開港したのは条約締結の翌年の1859年のこと。

条約には、開港場は神奈川と記されていました。しかし、神奈川は江戸(東京)に近く人々の往来も多く外国人と日本人との衝突が予測されたので、それを避けるために、幕府は横浜に開港場を設けることにします。

すると、外国側は“条約には開港場は神奈川とある”と、横浜に開港場を設けることを反対し、居留地建設は捗りませんでした。

しかしそんな中、反対する外国側の公使や領事の心配をよそに、外国商人たちは、横浜に進出を始めました。

その多くは、上海や香港に拠点がある中国貿易に従事している商人たちで、その支店や代理店を横浜に設けました。そして、新しく横浜に開設する商社なども加わり、横浜が開港場であるという既成事実が出来てしまいます。

山下居留地の面影

このような既成事実が追い風となり、また、横浜は神奈川の一部であるということで、開港翌年の春には、遅れ気味だった居留地建設は本格化しました。

居留地の発展と変化

当初の居留地の建物は、日本人大工による、木造に石張りや漆喰塗りの洋風建築に似せたものでした。

横浜港の貿易は、初期の頃は、中国の戦争や幕府による貿易統制策などの影響もあり安定しませんでしたが、1861年頃になると、幕府も居留地の整備に力を入れるようになり、新たな土地の造成や海岸通りの新設も行われ、開港前は畑だった居留地が街として発展し貿易も活発になっていったそうです。

山下居留地の面影

又、居留地が発展し外国人が多くなって行くと、日本人との諍いも多くなります。

開港当初から外国人殺傷事件が起きていましたが、1862年の薩摩藩の行列に遭遇したイギリス人が殺傷された生麦事件や、1863年の長州藩の外国船砲撃などは大きな問題となり、また、攘夷派の浪人が居留地を襲撃するという噂も絶えませんでした。

そこで、居留地の防衛のために、イギリスとフランスの軍隊が山手に常駐するようになりました。

すると、多くの駐屯軍兵士の需要をまかなうため、また、横浜港に入港する船や渡来する外国商人も増えていたので、外国人向けの製造業者や商店が増えて行き、居留地は西洋的な街に変わって行きました。

このように居留地は発展して行きましたが、1866年に起きた慶応の大火により、壊滅的な打撃を受けることになります。

この火災は当時の土手通り(現在の末広町)にあった豚肉料理屋鉄五郎宅からの出火で、火は東に向かって燃え上がり現在の横浜公園内にあった遊郭を焼き尽くし、さらに強い南風にあおられて関内の中央部から海側に向かって扇状に燃え広がって行きました。

山下居留地の面影

この直後、幕府と外国公使団との間で居留地の再建計画を盛り込んだ慶応約書が結ばれ、それにより、日本人街からの火事が居留地に燃え広がらないようにするために、現在の日本大通りが造られ、また、山手地区が居留地に編入されることになりました。

建物も、耐火構造の本格的な洋風建築が増えて行き、山下居留地は商業地域、山手居留地は住宅地区と位置づけられます。

山下居留地の面影

こうして、居留地はさらに異国情緒ある街に発展し、横浜の中の外国という様子になって行きますが、明治政府は、居留地の管理や整備に力を入れ、居留地内に政府の権力を伸ばそうと努め、1875年には外国軍隊を撤兵させ、1877年には居留地取締局の長官を解任しました。

外国人たちは、そのような日本側の行政に不満を表しましたが、居留地制度自体には不都合は無かったようで、貿易は拡大して行きます。1893年には、居留地内の人口は約5,000人近くあり、その当時が居留地の最も発展した時代でした。

居留地の撤廃

この頃になると、日本人も積極的に海外へ進出するようになります。

そして、居留地開設前に結ばれた通商条約に不備があると強く意識され、日本はこのような不平等条約を改正するように望むようになりました。

山下居留地の面影

何が不平等なのかと言うと、まず、居留地の借地には期限が定められていないので、借地権の値上げは出来ず、永代借地権は外国人の特権と化していたこと、そして、外国人が罪を犯しても日本の法律では裁けないということです。

日本は条約改正を強く求め、外国人居住民は1890年に条約改正反対の大規模な集会を開くなどして強く反対しましたが、1899年に、改正新条約が発効され、40年間続いた横浜の居留地制度は廃止となりました。

この条約改正によって、外国人は日本の法律に服するかわりに、日本中のどこでも居住と営業が出来るようになります。

尚、居留地制度は廃止となりましたが、永代借地権の無税・低地代の特権はその後も存続し、それが完全に消滅するのは1932年(昭和17年)までかかったようです。

居留地の面影

山下町にある神奈川芸術劇場・NHK横浜放送会館工事の為の発掘調査で、山下居留地の遺構が発掘され、建物の側面に展示されています。

山下居留地の面影山下居留地の面影

発掘当時の様子の写真や、居留地時代の遺構を見ることが出来ます。

そして、同じ敷地内の海側には、旧横浜居留地48番地の碑があり、その横に横浜最古の洋風建築物であるモリソン商会の建物に使われていた一部が、遺構として展示されています。

山下居留地の面影

モリソン商会は、イギリス系の貿易商社。グラスゴー出身のモリソンは、上海で製茶検査人として働き、1867年に来日してフレーザー商会に勤務し、1878年にはパートナーとなって社名はモリソン・フレーザー商会となり、その後、1884年に社名がモリソン商会となりました。

当初はお茶の輸出が中心でしたが、ノーベルのダイナマイトやマンチェスター産の綿製品などの輸入も行うようになりました。

山下居留地の面影

モリソンは、外国人商業会議所の会頭を務めた他、横浜文芸音楽協会や外国人墓地管理委員会の運営、また、横浜クリケットクラブを創設するなど、文化や娯楽の分野でも広く活躍された方です。

「思い出の横浜」という著作物も残し、現在は横浜外国人墓地16区に眠っています。

山下居留地の面影

そして、横浜開港資料館の開港広場側には、旧居留地90番地にあったシーベル・ブレンワルト商会の遺構である大砲が展示されています。

山下居留地の面影

シーベル・ブレンワルト商会は1863年にスイスの使節団の一員として来日したブレンワルトがロンドンに居たシーベルトと組んで、1865年にロンドンに設立したスイス系貿易商社で、1866年に横浜居留地に社屋を構えました。

1891年までこの商社の場所にスイス領事館が置かれ、歴代の経営者が領事を務めていました。

明治維新の頃には展示されているような武器の輸入も行っていたようですが、主には、生糸の輸出と時計や機械の輸入を行っていて、居留地屈指の商社だったようです。

山下居留地の面影

そして、大砲はもう一つ、シーベル・ブレンワルト商会があった旧居留地90番地、現在の山下町90番地にも展示されています。

続いて、開港広場横のシルクセンター前には、英一番館跡地の碑があります。

英一番館は、イギリス系総合商社であるシャーディン・マセソン商会が構えた商館です。

その場所は居留地1番地で、イギリス系商社の商館であったことから、英一番館という名で知られるようになったそうです。

シャーディンマセソン商会は、香港に本店がある東アジア地域最大級の商社で、居留地21番地や22番地にも施設がありました。

山下居留地の面影

最後に、旧居留地消防隊地下貯水槽の遺構が、横浜情報文化センターの敷地の一画にあります。

居留地消防隊が組織化されたのは、1863年12月22日に起きた、クニフラー商会の火災がきっかけとなったそうです。

それまでは、居留地68番地に倉庫兼劇場を所有していたヘフトなど、個人が消防車を所有していて消火にあたっていました。

居留地消防隊は、1971年から1899年までこの場所を拠点として活動し、この貯水槽が造られたのは、1893年頃のようです。

山下居留地の面影

このように、関内には、異国の香り漂う横浜居留地の面影が点在しています。

梅雨の晴れ間に、居留地の遺構を巡ってみてはいかがでしょうか。

この記事の著者

立花湖鳥

立花湖鳥

静岡県浜松市出身。鳥たちと共に、人生の大半を関内で過ごしています。移り変わる関内の歴史を、綴って行きたいと思っています。ライターの他には、脚本家・ヨガ気功講師・占い師をしています。

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