2年程前のある日、散歩途中の中華街で偶然ロンドンタクシーを見かけた。イギリスには縁もゆかりもないが、思わず「ロンドンタクシーですよね?」と声をかけたのがこの車との最初の出会いだった。
今回インタビューすることになったドライバーの中原氏は、その突然の声がけに嫌な顔一つも見せず、和かに車の説明をしてくれた。その丁寧ぶりは、ボンネットを開けてエンジン部分まで見せながら説明してくれるほど。
柔らかく丁寧な応対をしてくれるドライバーに、「次は乗せてください!」と名刺を頂き、その車との初めての出会いの日は終わった。
何となく気になっていたが、乗車する機会を見つけられないまま月日は過ぎ、ようやく今年の初め、友人と決行した夜景撮影ツアーで初乗車の機会を得た。
今日はどんな感じでいきますか?と投げかけてくれた中原氏に、
横浜の夜景を写真に撮りたいんですとオーダー。
「わかりました」と言わんばかりに車を走らせる中原氏は、会話の合間にチョットした観光名所の話など挟みながら、夕暮れ時の万国橋を最初のスポットに選んでくれた。
ココは正に「The ヨコハマ」とも言える場所で、みなとみらいの夜景が一望できるスポット。
この時間に写真を撮るなら、まずはここですね
…本当にその通りだった。
この万国橋を皮切りに、中原氏による観光ガイド付きで赤レンガ倉庫・旧横浜港駅プラットホーム・大さん橋・横浜開港記念会館・カトリック山手教会と続き、最後に横浜ベイブリッジが一望できる知られざる場所へと連れて行ってくれ、中華街の媽祖廟で車を降りた。
今思い返すと観光ガイドのオーダーはしていない。
しかし、さり気なく、そして、いつの間にか横浜の街を案内してもらっていた。後にこの観光ガイドが、単なる夜景撮影ツアーのつもりだった時間を、濃密なものに変えてくれたことに気づき、ふと名刺を見返した。
そこに書かれていたのは、「かながわ検定横浜ライセンス1級取得」の文字。
…なるほど。
そこで今回、中華街での初めて出会いと、夜景ツアーで一度の乗車を経て感じたこのロンドンタクシーの魅力を、伝えるべく取材を行うことを決意。
そしてその日を迎える。
指定された待ち合わせの場所に近づくと、背の高い車が遠くからでも見え、それがロンドンタクシーだとすぐにわかる。
すると、ドライバーの中原氏がいつものにこやかな笑顔で車から降りてきた。
もっと車の事を知りたいと話したところ、「いいですよ」二つ返事で快諾。車についてあまり知らない筆者にも、わかりやすく説明を始めてくれた。
中原氏は、車が止めやすく関内らしい場所と思える神奈川県庁へと移動させる。
中原氏のロンドンタクシーは、走行距離138,000km。乗り出してから現在まで4年を経た距離だ。一般的なタクシーの走行距離と比較すると、中原氏いわく「中の上、または上の下」だとか。
現在、日本国内で営業車としてのロンドンタクシーは3台しかなく、仲間からは車のメンテナンスを心配している声もあるとのこと。
しかし、それでも敢えてロンドンタクシーにこだわるのは、法人タクシー乗務時代から個人タクシーとして独立するならロンドンタクシーに乗りたいと決めていたから。
このロンドンタクシー、元々はブリティッシュ・スポーツカーで有名なオースチン社が販売していた。黒塗りのタクシーとしてスタートしたため、通称「ブラック・キャブ」と呼ばれていたそう。
その後、時代の流れとともに製造・販売は違う会社が引き継ぐことになるが、丸みのあるデザインと存在感抜群のフロント・マスクは今日まで引き継がれている。
シルクハットを被った紳士が、そのまま乗り降りできるように設計された車高のあるデザインは、1950年代からほぼ変わらない。だが居住性や安全性は進化し、改造することもなく車椅子がそのまま乗り降りできるスロープが備え付けられているなど、タクシーとしても完成度は高い。
座席が入り口付近にせり出し、足の不自由な人でも無理なく、ドアの手すりに捕まりながら乗降が出来るような機能もあるというところもすごい。
そしてもう一つ、この車のすごいところが6人乗りの車でありながら、道幅の狭い曲がり角でもUターンが出来る旋回性の高さだと中原氏はいう。
道の狭い野毛エリアでも、クルリと向きを変えられる小回りの良さは、実際に運転する中原氏にとっては嬉しいメリットのようだ。
さらにこの車、6人乗りといいながらも運転席の隣にはあるべきはずのシートがなく、スーツケースを置いたり、犬が乗ったりするスペースになっている。こんなところもロンドンタクシーの機能美なんだと感心させられる。
このように、ロンドンタクシーがいかに機能的であるかというのは理解したところで、中原氏はこの車について「顔がいのちです」と自慢気に言い切ってしまう。
日本大通りの県庁前を離れ、ホテルニューグランドに向かっている車内から見ていても、またホテルの前に停車して中原氏のお話を聞いている間も、通りすがりにこの車の写真を撮っていた多くはマダム層ばかり。
乗っていても、止まっていても注目度が高い車だと実感。
クールではあるが近寄りがたいデザインよりも、このロンドンタクシーのように懐かしく優しい愛嬌のある顔の方がホッと安心できる。
確かに機能的。そしてデザインも素晴らしいと言っても、メンテナンスのことを考えると、ドライバー仲間が上げる声の様に少々大変ではないだろうか。
今現在ロンドンで走っている同様の車両も、中国上海で製造された部品をイギリス・イングランドの都市:コンヴェントリーで組み立て生産している。
そのため中原氏も部品を上海から自ら取り寄せ、そして法人タクシーとして勤めていた以前の職場で整備をしているという。
例え故障をしても、部品を海外から取り寄せることになろうとも、それを知った上でロンドンタクシーを選び個人タクシーとして営業している中原氏の心意気には恐れ入る。
メンテナンスについて訪ねてみると、「初めは全部手探りだったが、ようやくものになってきた。色々大変なこともあるが日本車を購入しようという気持ちにはならないですね」と満足気。
「電気自動車もいずれは考えたい。」と言いながらも、リッター7~8kmほどの燃費だとしても、機能性やデザインなどのロンドンタクシーの魅力には変えられないそうだ。
ところで、中原氏の名刺には「かながわ検定横浜ライセンス1級取得」と書かれている。
以前の夜景撮影ツアーでもさり気なく関内の観光案内をしてくれたが、これについても聞いてみると…。
「何時何分に待ち合わせ場所でお待ちしております」と言って、決められた観光スポットに連れていくだけの観光タクシーは何か変だと感じ、2年かけ、その優れたガイド力に一目惚れした横浜シティガイド協会の嶋田昌子氏の門下生になったという。
最終的には、かながわ検定横浜ライセンス1級の第一号取得者になるほど、実力を身に着けた中原氏。
今では、横浜シティガイド協会会員ガイドとなり、仲間のタクシードライバーの知識向上の為に観光に関する勉強会も立ち上げているとのこと。
関内には名所が多いため、観光タクシーとしてのご要望もある。しかし、それには〝豊富な知識と、邪魔をしないくらいの距離感”が大切だといい、それが以前乗車させてもらった時の満足感だったのだと改めて感じた。
「自然体で嫌味なく」
これが中原氏が目指す、観光案内の心得。
乗客との〝間合い”も大切にする中原氏の心意気と、機能性と優雅さを兼ね備えた「ロンドンタクシー」のコラボレーションが、また魅力の一つなのかも知れない。
最後に、このロンドンタクシーを街で見かけて乗車する時の作法を伝授。
まずは助手席側の窓に近づき、「乗りたい!」とドライバーの中原氏に伝える。そして、中原氏がドアを開けてくれるのをを待つか、ロンドン風に自分でドアを開けて乗車する。それもまた粋なのだろう。
関内でも、気軽に乗ることができる中原氏のロンドンタクシー。見かけたら実際に乗って、関内の街を旅行気分で流してみてはいかがだろうか…。