2016年9月6日

弁天通りにある「横浜郵便発祥の地」の記念碑から新たな発見が!

大谷 幸一 大谷 幸一

関内、弁天通り3丁目の交差点にひっそりと佇む「横浜郵便発祥の地」の石碑。その内容に興味を持って取材を進めていくと、近代日本の郵便制度が確立されていく過程において、横浜・関内が重要な役割の一端を担っていたことが明らかになってきました。

横浜には、「○○発祥の地」がとても多いことを知っていますか?

例えば、「アイスクリームの発祥の地」が馬車道の氷水屋さんだったり、「写真発祥の地」が中区の神奈川歴史博物館の前だったり、「西洋式街路の発祥の地」が日本大通りだったり…

そこで、以前から気になっていた弁天通3丁目の交差点にひっそりと立つ石の記念碑もその一つに違いないと思い、今回取材を敢行しました。

近づいてみると碑文には、「横浜郵便発祥の地」とあります。

読んでみると「明治4年(1871年)に東京〜大阪間で近代郵便制度が発足した年に、この石碑の立つ場所にあった旅館「鹿児島屋」を政府が借り上げ、横浜郵便役所(取扱所)とし、横浜に於ける初の郵便業務も開始した」とありました。

しかし…、ちょっと残念。

なぜならば、この地が「日本の」郵便の発祥の地ではなく、「横浜に於ける」郵便の発祥の地ということ。やはり、「日本の~」というカンムリが欲しい。

そこで、いろいろ調べてみたらありました!

外国郵便発祥の地

この石碑のある弁天通3丁目のすぐ近くにある日本大通5丁目に建つ「横浜港郵便局」。

この郵便局こそ、正真正銘、明治8年(1875年)に「日本初」の外国郵便を扱う郵便局として開業したのだそうです。(もちろん建物は当時とは異なりますが…)

その証明として、ずっしりとした銅板が郵便局の正面玄関に輝いていました。

日本の近代郵便制度が始まった明治4年当時、海外との郵便は、日本にある各国の領事館内の郵便局でしか扱えなかったそうですが、その4年後には、この「横浜港郵便局」が外国郵便局の業務を開始(当初は米国のみ)しました。そして、明治13年(1880年)には各国への郵便も扱えるようになり、外国郵便が本格化していったそうです。

まさに、関内における「(日本)外国郵便発祥の地」です。

謎のエンゼル像

横浜港郵便局の正面には、石のポストの上にエンゼル像が鎮座しています。気になって近づいていくと、このブロンズ像は、外国郵便開始80周年を記念して設置されたものだそうです。

風景印をご存知ですか?

せっかく、日本初、外国郵便発祥の地(局)まで来たので、記念に「風景印」を押してもらおうと局内の窓口を訪ねました。

窓口の素敵な女性局員の方に押印の方法を教えてもらい、官製はがきを購入して横浜港郵便局オリジナルの「風景印」を丁寧に押して頂きました。

ちなみに、「風景印」とは、各地の郵便局に配備された消印の一種で、正式名称は風景入通信日付印(ふうけいいりつうしんにっぷいん)と言うそうです。

近代日本の郵便制度の父 〜前島男爵〜

今回、郵便のことを色々調べていると、『前島 密(まえじま ひそか)』という名前が度々登場したので、ちょっと調べてみると「凄い方」でした。

前島氏は、幕末に医学、蘭学、英語を学び、明治維新後は、政府の官僚となり渡英。海外の郵便制度を視察し、帰国後の明治4年に郵便制度の基礎を築き、明治8年には外国郵便の開業を指揮した「近代日本の郵便の父」と呼ばれた方だそうです。

その功績を称え、1円の普通切手に肖像が描かれています。この1円切手のデザインは、昭和22年(1947年)の初発行から現在に至るまで、一度もデザインが変更されていない類い稀な切手としても有名です。

今回の取材を通して、横浜、特に関内に点在する日本初の「○○発祥の地」にとても興味が湧いてきました。読者の皆さんのリクエストがあれば、どんどん取材に行き記事にしますので応援ください。

この記事の著者

大谷 幸一

大谷 幸一デスク

昼はうだつの上がらない中年サラリーマン。しかし、ひとたび編集長からの特命が下ると、どんな難しい取材にも果敢に挑む熱血漢。こんな私を人は「関内新聞の仮面ライター」と呼んでいます。深い歴史があり、異国情緒漂う関内。この街の知られざる魅力をたくさん発見し社会に発信することが私の使命です。

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