2017年3月21日

現代社会になくてはならない「写真」の日本での発祥の地は関内!

大谷 幸一 大谷 幸一

関内新聞の新連載「発祥の地を訪ねて」の第2回は、我々の生活になくてはならない「写真」を日本で初めて商業的に活用した写真師・下岡蓮杖(しもおかれんじょう)の功績を称え、その写真館のあった地に建立された「日本写真の開祖・下岡蓮杖顕彰碑」です。

日本写真開祖の碑

現代社会は、スマホの普及やSNSの発達で、写真がコミュニケーション・ツールとして重要な役割を担っています。でもその写真を日本で最初に注目して、普及させたのはどのような人達だったのでしょうか?

なんとその一人が、横浜で日本初の写真館を始めた下岡蓮杖(しもおかれんじょう)だったのです。

写真師・下岡蓮杖が野毛と弁天通りで写真館を始めたことから、「日本写真の開祖」としての功績を称え、ここに碑が建っています。

時は、安政6年(1859年)横浜港が開港したわずか2年後の文久元年(1862年)、西洋文化が一気に日本に流れ込んできた激動の時代に、写真の技術を習得し、アメリカ人の写真家ジョン・ウィルソンからカメラやスタジオを譲り受け日本で最初の写真場(館)を開業した下岡蓮杖。

いまから約155年前、「写真を撮影すると寿命が縮まる」と恐れられていた写真がこれほど普及したのは、開祖である下岡蓮杖の功績です。

生活になくてはならない写真だからこそ、時々は写真の発祥の時期に苦労した先人たちに想いを馳せてみるのもいいかもしれませんね。

発祥データ

  • 発祥年:安政6年(1859年))
  • 住所:横浜市中区弁天通4丁目

この記事の著者

大谷 幸一

大谷 幸一デスク

昼はうだつの上がらない中年サラリーマン。しかし、ひとたび編集長からの特命が下ると、どんな難しい取材にも果敢に挑む熱血漢。こんな私を人は「関内新聞の仮面ライター」と呼んでいます。深い歴史があり、異国情緒漂う関内。この街の知られざる魅力をたくさん発見し社会に発信することが私の使命です。

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