関内・関外エリアで欠かすことができないJR関内駅が通る根岸線。開通したのは東京オリンピックと同じ1964年(昭和39年)ってご存知でしたか?
東京オリンピックと同年に開通した根岸線
東京オリンピックは初のアジア開催ということもあり、東京では東名高速道路の建設や東海道新幹線の開通など、交通網の整備が相次ぎました。
そんな首都圏への人口流入の激増に伴い、横浜の交通整備も急ピッチで進められ、根岸線も開通されることに。
1964年に桜木町駅から磯子駅までの線路が開通し、すでに通っていた横浜・桜木町間と合わせて「根岸線」と名付けられ、今年で半世紀を迎えます。
それまでは、桜木町駅が京浜東北線の終発着駅。横浜の中心部(関内・伊勢佐木)や山手・本牧・根岸方面の交通を担ったのは市電(路面電車)やバスでした。
横浜の旧来の市街地である中区に鉄道が走っていないなんて、今では考えられません。
横浜の中心部を国電が貫通し、中区初の鉄道誕生後、さらに線路が伸びて大船駅まで全通したのは1973年(昭和48年)のことでした。
沿線には大規模な郊外住宅団地がいくつも建設され、根岸線の開通を境に市電の乗降客数は急減。市電は廃止され、国電根岸線や市営地下鉄が横浜の都市交通の主役となっていきました。
聖火ランナーを迎えるために4代目伊勢佐木町ウェルカム・ゲートを竣工
根岸線開通に加えもう1つ、東京オリンピックに関連して関外の歴史に残る出来事があります。それは、伊勢佐木町が聖火リレーのコースに選出されたことです。
伊勢佐木町ではこれを記念して、新たな「ウェルカム・ゲート」を竣工。戦前から数えて4代目のウェルカム・ゲートの誕生となりました。
入口に設けられたゲートは高さ27メートル、ステンレス製の柱とピアノ線を多く使い、風速60メートルの風にも耐えられるよう設計。
3色のネオンが点滅して街の夜空を明るく彩るウェルカム・ゲートは、戦後復興の遅れていた伊勢佐木町のイメージを一新しました。
1945年(昭和20年)の横濱大空襲で焼け野原となった伊勢佐木町。終戦後は焼け残った建物や土地はアメリカに接収されていました。接収からが完全解除されたのは東京オリンピックの4年前の1960年(昭和39年)。
その伊勢佐木町を聖火ランナーが走り抜けたことは、市民にとって平和の尊さを思い起こす大きなきっかけとなったそうです。
現在で5代目となるウェルカム・ゲートは、聖火リレーのようにその名称と平和の尊さを引き継ぎ、訪れる人々を迎えています。