ん!?
何が起こったんたのだろうか…。こんなにムードのあるカウンターで一人、黄金色に煌めくシャンパングラスの中で生まれては消える絹のように繊細な泡を見つめ、なぜ物思いに耽ているのか。
終わらないだろうと高を括っていたあの出来事が呆気なく終わり、途方に暮れる気持ちを慰めるかのように街を彷徨い歩いていたはずだったが…。それがなぜ、シャンパングラスを片手に、やや希望に溢れる心を取り戻しつつ我に返っているのか。
確か弁天通からベイスターズ通りに入り、見慣れた文房具屋の脇を小路に曲がったはずだが、次の瞬間にはシャンパングラスが現れている。
そうだ!
空いている腹を満たしておこうと何気なく小路に入り、暗闇にほんのり光る看板にそそられ、この店に入ってきたんだ。寒さに凍える身体も、焦燥感に駆られて苦しむ心をも、暖かく包んでくれそうな看板とメニュー。
そして優しい照明と艶やかな壁の絵に包まれた店の入口に、我を忘れさせられてしまっていたようだ。そんな忘我の境地で一歩店内に足を踏み入れると、そこにも更なる優しい雰囲気と壁に清々しく陳列されるワイングラスを見守る照明。
カウンターの中の壁にも温かく光をこぼすライティングと、カウンターに並ぶテーブルセットとワイングラスを丁寧に包むダウンライト。孤独な夜を完璧すぎるほどに抱擁してくれるこの店の空気感が、いつものように妄想を止められない一人の夜を演出してくれていた。
ビストロ マール
何に躊躇うこともなく優しく迎え入れてくれたこの店の雰囲気が、やる気を取り戻すきっかけを与えてくれそうな気がする。そんな気分に祝い酒を飲もうとシャンパーニュから始めたのが、今宵の一人の晩餐だったのだ。
見た目にも素敵なアン肝のアミューズと、クリームチーズが添えられたパン。その可愛らしい容姿を勿体なさ気に小さめに頬張り、改めて口に流しいれるシャンパーニュ。
その所作を何度か繰り返しているうちに、塞ぎ気味だった心も新たに芽吹き返した気分になる。
パンに添えられたクリームチーズには、茗荷と浅葱が美しくアクセントになっている。少しスクってはパンに乗せ、落ち着いて口の中で噛みしめる。生きているという実感をも感じさせてくれる良い出だし。
最高の店を見つけた。
それほど広くは無い店内なのに、カウンターの上で芸術的に並ぶナフキンとグラスの広がりが、現実以上に空間を広く感じさせている。それがまた居心地の良さに繋がっているのだろう。
クラシックな欧州を感じさせる椅子とテーブルがある個室は、和のテイストを取り入れた扉や天井の作りで凛とする空気感が溢れる。まさに和洋折衷の趣に、出される料理に自ずと期待し始める。