すっかり秋めいた気候になった。
世間では食欲の秋、読書の秋などと、この時期になると盛んに言うようだが、非日常的な空間に身を任せて心身の静寂を取り戻せる夜長という表現が一番だ。
観光客や食事客でごった返す昼間とは一変、明かりが光る店の数が極端に減った後の中華街を、安らげる止まり木を一人探すのに良い季節となった。
そんなことを思いながら、いつもとは違い石川町で電車を降りる。もう電車も終わる頃なら、人並みにもまれることもなく、涼しさがより清々しく肌に触れ、心に安らぎを与え始めてくれる。
北口から中華街の西門をくぐり、いつもよりゆっくり足を運ぶ。
こんな夜は、あの店だと決まっていた。
男が一人、程よく物思いに耽れる場所。
男が一人、恥じることなく淋しさを感じられる場所。
そう…。その場所こそがこのお店。
BAR MARINE
初めてこの店を見つけた時、あてもなく歩いたはずだったのに、あたかもここを目指して来たと思えるような感じを覚えた。
どこか知らない場所で、誰にも見つからない所で、自分の心を静かに見つめ、フッと人恋しく感じられるようになるまでゆっくりと休みたいと歩いて来た。
ただ何となく、足を進めていた時に看板を目にし、その瞬間に階段を登り始めていたのだった。
階段を見上げると見えるユニオンジャック。ガッツリと異色な雰囲気を味あわせてくれるウィスキーを紹介する写真。目にした看板に書かれていた「No Charge」という文字に安心感を覚え、ガムシャラに、でもゆっくりとこの階段を登ったことが忘れられない。
この階段の先に、どんな空気が流れているのか。
この階段の先で、どんな瞑想をさせてくれるのか。
静寂に包まれ心と身体の安定を取り戻すために必要な時間と空気。今は、それがどんなもので、ここに来ることの必要性に疑心することもなく、ゆっくりと扉に近づけるようになった。
誰にも教えたくない居場所が、
でもどこかで、
その場所を持っているということを、
多層的な心と単純な身体。酒を一口チビリとやった途端に融合する心身だが、そのチビリを始めるまでは、いつものように別人格を持ち、その席に座るまでの楽しみを一人で味わっているようだ。