2016年7月12日(火)

関内の古い貨物鉄道を巡るミステリー仕立てのミニトリップ~後編

アバター画像 大谷 幸一

今まで全く気がつかなったことが、気になることってありますよね。今回は赤レンガ倉庫のイベントへ向かう時に、汽車道の遊歩道を歩いていて鉄道のレールのようなものがあるのに気づいた時から、ミステリー仕立てミニトリップは後編へと続いています。

※この記事は、前編からの続きです。

横浜港駅から、さらなる謎解きが始まった!

前回の取材で「横浜港駅」で途切れた貨物線の謎を、今回は絶対に暴きたいと心に誓い、まずは「横浜開港資料館」を訪ねて大正から昭和までの新港地区の貨物線についての資料を閲覧した。

すると何冊かに貨物線の路線図があり、ヒントを得ることができた。

資料によると「東横浜駅」から「横浜港駅」へ向かう路線とは別に、「東横浜駅」から「山下埠頭駅」へ向かう路線も存在したようだ。資料は撮影禁止だったが、前回ランドマークタワーから撮った写真に資料に書いてあった路線図をトレースしてみた。(黄色の点線)

まずは「象の鼻パーク」方面へ向かってみる。するとすぐに鉄橋が現れる。まさに貨物線の鉄橋というコンパクトながら力強い風情を醸し出している。

大正元年8月のプレートがある。国産らしい。ここから象の鼻パークへの遊歩道が始まる。しばらく歩くと道の脇にプレートがあった「開港の道・山下臨港線プロムナード」やはりこの遊歩道も貨物線の跡だったのだ。


遊歩道は左にカーブしながら、ゆるやかな上り坂になっていく。

象の鼻パークを過ぎたあたりが一番見晴らしが良くなる。右手にはクイーンと呼ばれる「横浜税関」キングと呼ばれる「神奈川県庁」が見える。左手には横浜港。大桟橋には大きな客船が停泊し、時折吹く潮風が心地よい!


高架になった貨物線を日本大通り方面から見ると横に広がる線路のラインがとても美しい仕上がりになっている。高架を支える懸架も石のトンネルのよう。


線路の左カーブが過ぎたあたりで後ろを振り返ると、目の前にクイーンが現れる。1970年代の貨物列車の運転台からは、いつもこの光景が見えていたに違いないと思うと感慨深い。

突然行き止まりになったプロムナード

横浜観光で有名なお店「BLUE BLUE YOKOHAMA」を過ぎるまで、調査は順調に進んでいたが、山下公園に入る直前で鉄貨物線跡の遊歩道は突然、終了してしまった。

その後、さらなる事実が判明!

行き止まり地点の山下公園に立つ看板がその答えを示していた。


さらにその場でネットに接続、関連情報に複数アクセスすると詳細が見えてきた。

なんとこの線路跡は、1965年(昭和40年)に横浜港駅から山下埠頭駅と呼ばれる山下埠頭を結ぶ貨物路線で、昭和30年当時は、なんと山下公園の中に高架を設置した「山下埠頭線」であるこがわかった。しかし、山下埠頭線は1986年(昭和61年)に廃線となり、2000年に山下公園内の高架はすべて撤去されてしまったということであった。(黄色の点線)

しかし、ここで、取材を諦めるわけにはいかない。撤去された高架があった遊歩道をそのまま山下埠頭方面へ歩いてみた。

遊歩道は奇妙なトイレで行き止まり

山下公園の遊歩道は小雨に濡れた新緑が美しい。山下埠頭まで高架の貨物線が存在した証拠をなにも発見できないまま遊歩道は不思議なカタチをしたトイレで行き止まりとなってしまった。

ふと上見上げると頭上にはマリンタワー。高いところから山下公園を見下ろせば、古い線路の証拠発見することができるかもしれない! 私の頭の中で古い刑事ドラマ「太陽にほえろ」のテーマソングが鳴り響き始めたのをきっかけに、マリンタワーの展望台へ向かった。

わたしの第六感は当たった!

マリンタワー30階の展望台から目を皿のようにして山下埠頭を見ていたら、先ほどの奇妙なトイレの少し先から鉄道の線路の跡のようなものを発見した。

望遠レンズのズームを上げていく。ビンゴ!

とうとう山下公園を通過した線路が山下埠頭まで伸びていた証拠を見つけた。写真を撮った後、すぐに地上へ降りて線路があった場所へ急行する。

線路は確かに山下埠頭へと繋がっていた

地上へ降り、山下公園の最南端にある駐車場(屋上は6つの大陸へのびる道をデザイン化した「世界の広場」になっている)の脇を通って、ベイブリッジ方面へ向かう高速道路の入り口付近の大きなな交差点に、上から見えた貨物線用の線路の跡がバッチリ残っていた。道路との位置関係からすると、ここは踏切があたような気がしてきた。


この先は港湾関係者のみしか入れない。しかし、もう少し先まで見たい…

と立入禁止エリアギリギリまで近づいてみると、道の真ん中に毛並みの良い黒猫が前を塞いいでこちらを睨んでいた。そして驚いたことに黒猫がしゃべった。

「よくここまで来たな。褒めてやるよ。たしかに山下埠頭線は、赤レンガ倉庫を通って東横浜駅まで繋がっていたよ。でも、これで取材は終わりだ。この先は立ち入り禁止!」

わたしは、くるりと向きを変え桜木町駅を目指して歩き始めた。

 
今回、汽車道の遊歩道で見つけた鉄道軌道の跡の謎はだいぶ解明することができた。以下に、複数の情報源からまとめた、関内の貨物路線についてのまとめを記して今回の取材を終了としたい。

横浜臨港線
  • 1915年(大正4年)高島駅→東横浜駅
  • 1920年(大正9年)東横浜駅→横浜港駅
山下埠頭線
  • 1965年(昭和40年)横浜港駅→山下埠頭駅

★横浜臨港線と山下埠頭線を合わせて高島貨物線と呼ぶ
★山下埠頭線は、山下臨海線と呼ばれることもある
★山下埠頭線は1986年(昭和61年)に廃線
★横浜臨港線は1987年(昭和62年)に廃線

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大谷 幸一デスク

昼はうだつの上がらない中年サラリーマン。しかし、ひとたび編集長からの特命が下ると、どんな難しい取材にも果敢に挑む熱血漢。こんな私を人は「関内新聞の仮面ライター」と呼んでいます。深い歴史があり、異国情緒漂う関内。この街の知られざる魅力をたくさん発見し社会に発信することが私の使命です。

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