2015年3月30日

横浜の公園に歴史あり!関東大震災の復興のシンボル「山下公園」

岸野 ちほ 岸野 ちほ

ぽかぽか陽気で桜も満開。関内散歩には最高の季節がやって参りました!ハマ風を感じてのんびりするなら、やっぱり外せないのが山下公園。その山下公園が開設された背景、ご存知ですか?実は関東大震災の瓦礫で埋め立てられた、横浜の復興の証なのです。

春ですね!

休日は昼まで寝てぐうたらしがちな私でも、ちょっと早く起きて出かけたくなる、そんな季節です。

 
そんな折、編集長から「春だし、山下公園の話題なんてどうだろう」という連絡が…。

山下公園と言えば、関内どころか横浜で最も有名な公園のひとつで、知名度はもはや全国区。

「さて、一体何を書こうか…」と迷いつつ、とりあえず公園をウロウロしてみることにしました。

山下公園の桜

ウロウロ…。

マリンタワーとしだれ桜のコンビネーションが、いい感じなだあ…。

氷川丸

ウロウロ…。

氷川丸、今日もかっこいいなあ…。

山下公園の石碑

ウロウロ…。

か、も、め~のすいへいさん…。

 
…う~ん、普通、普通すぎる。私が編集長なら、このお散歩レポートはボツだわ。どうしようどうしよう…とうんうん唸っていると、都合よくこんな素敵な案内版を発見!

山下公園の案内板

山下公園の歴史です!(※この案内版は、山下公園内の一番桜木町側にあるコンビニの近くにあります。)

読んでみると「震災復興事業の一つ」「日本初の臨海公園」など、なかなか興味深いことが書いてあるではありませんか!

そんなわけで山下公園の開設の歴史を調べてみることにしました。

現在の山下公園通り(山下公園に接する、県民ホールやホテルニューグランド、マリンタワーが建っている通り)は、公園開設前は海岸通りと呼ばれ、その名の通り海に面した道だったようです。つまり山下公園は丸々、埋め立てられてつくられた公園というわけですね!

何を使って埋め立てたのか?

それが、関東大震災で崩壊した横浜市内の瓦礫だそうなのです。市内の瓦礫処理と、再び災害があった時の避難所にもなる公園をつくる目的で建設が始まり、1930年(昭和5年)に日本最初の臨海公園として完成した山下公園。

建設当時には園内に張る芝生が不足し、富士山のすそ野の生芝を刈り取って使ったそうですよ!

山下公園の完成は、震災から復興した証でもあったということです。

1935年(昭和10年)には、山下公園を会場に「復興記念横浜大博覧会」が開催されました。全国の都道府県、各種団体の物産館、陸海軍の国防館、シルク館、海洋発展館、交通観光館、水族館など55もの団体が出品し、大いに賑わった模様。

中でも一番人気は「生鯨館」で、海にイケスをつくり生きた鯨を放すという、なんともダイナミックな計画だったようです。ところが鯨がなかなか捕まらず、捕まえて入れてもすぐに死んでしまい、しまいには閉館するというハプニング(?)もあったそうです…。

“臨海公園”なんて言うと、観光のためにつくられた公園かしらと思ってしまいそうですが、実は関東大震災の瓦礫を使って埋め立てられた復興のシンボル「山下公園」。

春のお散歩や港ヨコハマの夜景を楽しみつつ、ぜひその歴史も感じてみてくださいね。

この記事の著者

岸野 ちほ

岸野 ちほ副編集長

九州生まれ九州育ち。学生時代を横浜で過ごし、横浜を第二の故郷と呼んでいる。ハマスタでアルバイトをしていたことがきっかけでベイスターズファンに。ファン歴は10年。

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