なぜ日ノ出町駅は大きくカーブしているのか
横浜駅から京浜急行の乗ると2駅目が日ノ出町駅です。線路がカーブしているため電車とホームが離れる部分があるので、乗り降りの際には足下にご注意を。
ところで日ノ出町駅は、どうしてこのようにカーブした駅になったのでしょう。
京急の線路は、南太田から黄金町にかけて大岡川沿いに北上し、日ノ出町で大きくカーブしています。線路脇の道路のように、そのまま大岡川に沿って進んでいれば、桜木町駅に行き当たっていたはずなんです。
じつは京浜急行の前身会社、京浜電気鉄道も当初はそう考えていました。この区間の線路敷設に際して桜木町駅を通るよう計画し、工事の申請をしていました。
ところがその申請が通らず、しかたなく計画を変更。日ノ出町で大きくカーブする別ルートで線路を敷くことになったんです。
許可が下りなかった理由は、桜木町駅には新たな路線を引き込むスペースがなかったからでしょうか。もし京急が桜木町駅を通っていたら、桜木町や野毛は今とはまったく違う様子になっていたでしょうね。
この付近を地図で見ると、長者橋のたもとから野毛を通り抜けている2本の路地が、桜木町駅に斜めに進入するように伸びているのが分かります。
直線的なほかの路地とは違い、この2本の路地だけが滑らかにカーブしています。この路地こそ、途中まで進められた線路敷設工事の名残なんですね。
野毛の路地を歩く時には、幻の京急線のことをちょっと思い出してみてください。
日ノ出町駅開業は京急120年最大の偉業
日ノ出町駅があるのは、野毛山の中腹に開けられたトンネルを出てすぐの所。線路敷設の計画を変更したため、線路を急カーブさせて、さらにトンネルを掘って工事が進められたわけです。
しかも駅は高架の上。難工事だったことが想像できます。
ちなみに、江戸の材木商だった吉田勘兵衛が1659年(万治2年)に幕府の許しを得て、現在の関外地域一帯を吉田新田として埋め立てる際に切り崩したのがこのあたりの山。日ノ出町駅ホームの裏、このトンネルのすぐ脇には、その歴史を記した「天神坂碑」が建っています。
日ノ出町駅が開業したのは1931年(昭和6年)12月のこと。
すでに黄金町~浦賀間を開通させていた湘南電気鉄道と、品川~横浜間を結ぶ京浜電気鉄道とが、日ノ出町で接続して駅が開業しました。
計画変更した難工事の末にようやくこの区間が開通。この時、現在の京急の骨格が形作られたのです。
それを記念するようなモニュメントが、2番線上りホームの中央付近にあります。
それは、2cm角ほどのタイルを使って描かれた三浦半島の地図です。ふたつの路線が接続した場所、日ノ出町駅の存在を象徴するような地図ですね。この地図についての正確な記録は残っていないそうですが、おそらく駅開業時からあったのではないかと言われています。
地図の中にひとつだけ色の違うタイルがあるのが見えるでしょうか。そこが日ノ出町駅のある場所です。
横浜周辺の海岸線をつぶさに見ると、埋め立てが進んだ現在の海岸線とは異なっているのも分かります。このタイル地図が作られた時代の横浜の海岸線が克明に描かれているようです。
もし日ノ出町駅開業という大事業の達成がなかったら「赤い稲妻」京急でビーチサイドまで一直線に行くことはできなかったかもしれませんね。
今年で創立120周年を迎えた京浜急行。その歴史のなかでも、東京と三浦半島を結ぶ現在の京急の形が完成された所として、日ノ出町駅の開業は大きな要だったんです。
歴史散策マップのあるオルガン広場から美空ひばり像へ
気軽に利用できる酒場や飲食店、各種エンターテイメントがそろった日ノ出町交差点周辺。駅を出て交差点の角に立つと、向い側にレンガ色のモニュメント「オルガン広場」が見えます。
かつて日ノ出町にあった西川オルガンは、明治時代に日本で最初のオルガンを製作した会社。この一角は、その西川オルガンを記念した広場です。
西川オルガンは1921年(大正10年)にヤマハの前身である日本楽器に吸収合併されて、日本楽器横浜工場となりました。日ノ出町町内会には、当時製造された西川オルガンの1台が引き取られて保存されているそうです。
オルガン広場にある歴史散策マップを見ると、この周辺の歴史的スポットの場所がわかります。歩き始める前にチャックするといいですよ。
オルガン広場から桜木町方向へ歩くと、映画館の先のすし屋さんの前に美空ひばり像が建っています。
現在のウインズ横浜の場所にあった横浜国際劇場で、幼い頃からステージに立っていた美空ひばりさん。主演映画『悲しき口笛』の舞台となったのも、この界隈でした。
大岡川のほとりの水にまつわる歴史スポット
日ノ出町交差点のオルガン広場から、今度は大岡川岸に出て歩いてみましょう。
長者橋から少し下流側へ行くと小さな郵便局があります。この横浜日ノ出町郵便局は、どうして大岡川に面しているのか。ちょっと不思議です。ラブストーリーの舞台にでもなりそうな可愛らしい雰囲気もあります。
また郵便局脇には「お笑い大明神」という名の、ちょっと変わったオブジェが設置されています。
あまり知られていませんが、笑いを誘うゆるキャラですね。もし立ち寄ることがあったら、頭を撫でて可愛がってあげてください。
黄金町方向へ大岡川をさかのぼって行きます。かつて京急の高架下に特殊飲食店が立ち並んでいたエリアですが、環境浄化が進められて雰囲気が変わりました。
近ごろ大岡川やみなとみらいでよく見かけるようになったSUP(スタンダップパドル)の発着場もこのあたりです。
そしてその先の黄金橋の少し手前に、天然水がこんこんと湧き出ている所があります。これが「日の出湧水」です。横浜のこんな所で水が湧いているとは、驚きますね。
掲示されている説明によると、水源の正確な場所は確認できないようですが、野毛山にあると考えられているようです。
古くから地域の生活用水として使われ、明治に入ってからは横浜港に寄港する船舶に積み込む飲料水もここから運ばれていました。関東大震災の時には、ここの水で多くの命が助けられたと言われています。
水温は一年を通じて15℃ほど。現在は飲用には適していませんが、水道水とはひと味違う感触を手のひらで味わってみてはいかがでしょう。
長者橋を伊勢佐木町方向へ渡った右手、神奈川銀行の裏にも、水にまつわる歴史的スポットがあります。この一帯が開墾された時に掘られた「大井戸」の遺跡です。ここにあった大井戸は進駐軍によって埋められてしまうまでは、飲用水や防火用水と周辺住民に利用されていたようです。
陽が傾いて来ると大岡川のほとりを涼やかな風が吹き抜けます。『瞼の母』を書いた劇作家、長谷川伸の碑を読んでいると、すぐ脇の横浜日ノ出桟橋から「シュポッ」とプルトップを開ける勢いのいい音が聞こえてきました。
川風に吹かれながらの缶ビールもいいですね。では、散策は終了して、ここで夕涼みしていきましょうか。