確かにいえることは、ゆっくり飲むつもりで飲んでいたはずの、いつものバーボンがもう、一杯目を飲み終えようとしているということ。
ようやく意識を我に返らせてくれたのは、何気なくバーボンのグラスを傾け視線をやった先にあった、色鮮やかなコースター。YOKOHAMAという文字と一緒に刻印される、SINCE 1972の文字。
確かNORGE (ノルゲ)というのは、ノルウェー語で「ノルウェー」の意。店の名前にもなっているノルウェーの国旗を至るところで目にすることによって、この店全体が北欧の海賊船となり、まだ見ぬ大陸を求め40年に渡り外洋をさまよっている物語の主人公にしてくれる。
それが時間の意識をなくしてくれているのか…。
いや、待てよ。
先ほどからの、穏やかで不思議なくらいまで時間の感覚をなくしてくれるのは、何もこの店の長い歴史と北欧の海賊船の物語のせいばかりではないな。
店の一番奥で、その存在感をビシバシと主張している、暗闇に光るあのジュークボックス。コイツもこの店の不思議な時間の流れを創りあげている大きな要因だ。
ムードを盛り上げるために、ただ置かれて光を放っているだけの存在ではない。
近づいてよく見てみると、コイツは紛れもなく、現役に音を放てる役割を担っている。
ムードを出すために置かれているだけでなく、ジュークボックスとしての本来の役割である、
最高の音楽で雰囲気を作りあげるという、
当たり前すぎる程の役割を、まだ現役としてこなせる本物の光を持っている。
ややもすれば、その役割を果たすだけなら、現代なら当たり前の他の術がいくらでもあるはずなのに、この時勢になってもコイツが現役を続けていられるということは、徒ならぬこだわり追求の姿があるからこそだろう。
100円玉を入れて、ダイヤルでページを捲り、ご機嫌でお気に入りの曲を見つけて3ケタの番号を押す。
まだウブな心を持っていた時代に、アメリカ映画を観て感動を覚えた少年に戻ったかのような全身の衝撃が、音楽ではなくコイツがレコードを探し当て、針をそっと乗せる微かな音で湧き起ってくる。
ん!?なんだと…。
まさか、あっちのヤツもそうなのか?
蓄音機にの大きなシルエットに目を奪われて気が向かなかったが、実はあそこにいるヤツも現役で役割を果たしている、この店の時間のトリックスターなのかも知れない。
ジュークなヤツとは違い、恥じらうように仄かに光る明かり。その姿だけで紛れもなくわかる真空管アンプ。
まさか、本当にコイツも現役だというのか?
ただでさえレコード盤の古さの中に温かみを感じる音質が、コイツを通すとさらに厚さと膨らみを増し、足の先から入り込んだと思えば、脳天から安堵のため息となって出て行ってしまう。
威勢の良い海賊船の力男たちですら、催眠術にかけてしまうような魅惑の音色で、時間の魔術師としての役割を、最前線に立ち現役ぶりを発揮している。
そうだったのか。
この店に入った瞬間から入るスイッチが与えてくれるもの。時間の流れを一気に止め、時空をねじったように、時の流れを不思議な速度に変えてしまうこの店の魅力。それは、40年を超える歴史が古いのではなく、40年を超えてもまだ現役でその役割を担っているという、他では味わうことができない時間の概念を根底から覆す姿。
全てが未だ現役で主役。