2014年4月17日

【情熱】滝ともはるの音楽が南回帰線を経て行き着いたパラダイス

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森本 康司 森本 康司

約束の時間に遅れてはならない。滝さんを待たせてはならないと、少し早めに来たはずだった。
扉を開けた時には、何かの曲の一番盛り上がるパートを指でギターを奏でていた。

額にはうっすらと汗のようなものが滲み、ワイシャツの袖は軽くまくられている。

ようやく入ってきたことに気が付くと、滝さんの指が奏でていた曲は止まり、ギターを置いた滝さんはテーブルに腰を下ろしてコチラを招き入れる。

滝ともはる②

滝さん:
この街に来てもう26年かな。それでハート&ソウル原さんとは、出会って22年ぐらいになるね。当時は僕も原さんも色々なお店に呼ばれて、色んなところで音楽をやっていたんだ。

彼とは一緒に音楽をやっていた訳じゃないけど、この街で音楽をやっている時にお店ですれ違うようになったり、お店へと移動する道で会ったりして、お互いが仲間だと認識していたよね。

南回帰線ジャケット

滝さん:
デビューしたのが1978年、23歳の時。クラブ歌手だった父親が歌う姿を小学生の頃こっそり見た時に、音楽を意識するようになったのかな。そのクラブのオーナーの息子が幼馴染でね。こっそり入ったクラブの奥で、生まれて初めてコーラを飲んでて、その時に父親が歌ってたんだよ。

中学生の時に、人並みにビートルズやプレスリー、サイモン&ガーファンクル、カーペンターズなんかを聴いてた。それで高校生になって、井上陽水で目覚めて、大学浪人中にコンテストで優勝してデビューした。

滝ともはる⑥

滝さん:
1980年の南回帰線の時が、25歳の4月だな。あの曲でベストテンの4位までいった。

 
何てことだ。有名な曲ということは知っていたが、ベストテンで4位までいった歌手が、この関内の街にいて、こうして今、目の前にいるんだ。
 

滝さん:
まぁ、知らなくても仕方がないよ。もう34年も前のことだからね。あの頃、ラジオが3本、それにテレビも1本レギュラーを持っていて忙しくしていたよ。だけど、1982年にザ・ハングマンⅡの主題歌を歌った後、26歳の時に僕の音楽活動は休止したんだ。

しばらくした32歳のころ、横浜でディスコバンドのボーカルをやらないかと誘われ、この街に来た。

滝ともはる③

滝さん:
店を持つ前と後では、大きく流れが変わったね。この店は2001年3月1日に作ったんだけど、店ができてからは活動の拠点ができたというか。動きが定まって来たね。

この店でアルバムを3枚作ったし、この店の若いアーティストのCDも3枚プロデュースできた。

 
パラダイスカフェを作ったきっかけは…?
パラダイスカフェ①

音楽が溢れる関内の街で、色んなお店からお呼びがかかる滝さんが、お店を持つことにしたきっかけは何だったのだろう…。

 
滝さん:
次第に歌のお呼びが減ってきたんだ。まぁ、それも仕方がないと思うね。自分はだんだん歳をとるし、お店の人は若くなっていく。扱いにくくなってしまったんだろうね。それでお声が掛からなくなりだしたんだ。

それで上海出身の胡さんをキッチンに招き、歌で通っていたお店のスタッフだったにバーテンとして声を掛け、お店を持った。胡さんは残念ながら、もう天国に行っちゃったけど、麦は一時店を離れた後、今は戻ってきて店長として、この店を切り盛りしてくれてる。

バーカウンター

滝さん:
お酒とお料理と音楽。この3つが複合的に交わりエンターテイメントする。それで、お客さんが寛いでくれる空間。それがこの店のコンセプトだった。お酒の種類もかなり豊富に用意しているよ。

 
3年前に思い切って店を改装。大きく拡げる。
パラダイスカフェ②

滝さん:
それまでのお店は、32人ぐらいが入れる小さなお店だった。それを3年前に、この広さまで改装して拡げたんだ。今は全部着席すると60人は入れる大きさになった。

お店詳細

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